ダイオウイカの研究者で第一人者の窪寺恒己博士に今回はスポットを当ててみました。窪寺博士はすごい方でダイオウイカに関しては世界的にも有名な方です。
研究者の中では超有名な方でその中でも有名な話では2004年には生きたダイオウイカに世界で初めて深海での撮影に成功し世界を驚かせます。
そんな窪寺博士の学歴を辿って研究者になっていったのか。
実は窪寺博士は違う職業になりたかったらしいのですが敢え無く断念したらしいのです。
その理由を今回探っていきたいと思います。
では、行ってみましょう!!
気になる窪寺恒己博士の学歴は?
窪寺博士は生まれは東京中野区生まれです。勉強の方はできた方で成績は上位の方だったらしいんですがあまり勉強は好きではなかったらしいです。
子供の頃からイカ、タコが好きだった訳ではなくどちらかといえば山少年だったらしくバッタやコオロギを捕まえて遊んでいたらしいです。
博士は高校は都立新宿高等学校を経て1975年に北海道水産学部を卒業し1982年に北海道水産学部博士課程を単位取得し退学しています。その後水産学博士の学位を取得しています。
1982年から83年まで米国オレゴン州立大学海洋学部研究助手を務め上げ1984年に国立科学博物館動物研究部の研究官、主任研究官、室長、コレクションディレクター(兼 分子生物多様性研究資料センター長)を歴任しています。
そして2004年に生きたダイオウイカを小笠原諸島沖で世界で初めて深海での撮影に成功しているのです。
意外!本当は違う職業に就きたかった?
意外に思われるかもしれませんが子供の頃は最初から研究者になりたかった訳ではありませんでした。
実は、高校生の頃は航海士になりたかったらしいのです。
理由は世界のいろいろなところに行きたかったらしいからです。そこで、東京商船大学(当時、現在は東京海洋大学)に行こうとするんですが航海士になるには目の検査で裸眼1.2以上ではないとダメらしいのです。
そこで諦めてしまいます。そこから「沈黙の世界」という映画の中で海の中の生き物を潜水具とカメラを使って撮影したものを見てこれは面白そうとなり海洋生物学者に興味を持ち大学水産学部に入ることになります。
意外なものですね。聞いてみないとわからないものです。最初から海の研究者になりたかった訳ではなかったんですね。
成功する人の特徴はコレ!
窪寺博士の研究が全て順調だったわけではありませんでした。10年に及ぶ調査には一向に成果が上がらないことも
あったらしいです。
研究がダメだった時はなぜダメだったのかの原因をひとつひとつ見つけ出しダイオウイカが出てくる条件を割り出していったらしいです。
誰よりも失敗し誰よりも挑戦し誰よりも考えていった窪寺博士尊敬します。
失敗を失敗とせずダメだった原因を見つけて成功する条件を割り出してくる。
これは非常に貴重な話を聞いたなとおもいます。
人は一回ダメだとすぐ諦めやる気を無くしてしましますが、次へ成功への道筋をつけることは大事なことだと感じました。
ここまで研究に注ぎ込む背景には誰よりも好奇心が強かったのではないかおもいます。
窪寺博士にはこれからも身体を大事にしてもらいアッと驚く研究結果を出してほしいと思います。
ありがとうございました。